映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

海街 diary(1/4)

邦画は解りにくい(ものもある)

 正直に言えば、私は是枝作品を観たのはこれが初めてだ。だが、いっぺんで好きになった。食わず嫌いだったというわけではない。機会がなかった。ハリウッド作品などに比べ邦画はわかりにくい。欧米の鑑賞者の娯楽より作者の表現に力点をおいた作品にはその美術史の影響か、象徴という表現手法が多用される。これは映像の裏に隠された作者の意図を映像の中のある対象を媒介として類推させようとするものだ。映画史上最も雄大な場面転換として知られる「2001年 宇宙の旅」における、猿人の投げ上げた骨が突如変化する軌道上の衛星兵器は人類と科学技術の進歩とそれにかかわる歴史的過程の象徴だ。のみならずこの作品はいたるところ象徴だらけだ。この手の作品は一見難しそうに思えるが、要領さえ掴むと意外にわかりやすい。ところが邦画はそうは行かない。象徴などという小賢しい手法は使わないからだ。映し出される対象のあり方や動き、登場人物の行動や会話など、鑑賞者が作品世界に身を置いて感じとらなければならない。言い方を変えれば、作者(監督は全てのスタッフの創造の統括者としても、そしてもちろん演者も)の頭の中で創造された作品世界を追体験しなければならない。つまり、邦画は一般により鑑賞力が要求される(ものが多い)のではないかと思う。

 そんなわけで、しっかり考えて創っていそうな是枝作品は当然、鑑賞にもそれなりの構えが必要ではないかと考えてしまう。要は「難しそうで楽しめないんじゃないの?」と二の足を踏む思いで、今まで観る機会を逃してきた。ところが今回の鑑賞でちょっと惚れてしまった。柔らかく優しいのに、鑑賞者を強く惹きつける是枝作品は象徴などというよりももっと効果的で映像的な手法を使っていることが理解できた。今更と思われるかもしれないが、それはどのショットにおいてもカメラが移動しているという撮影方法である。

 

本質的に似て非なる移動撮影

 この作品は心の描き方も、背景を含めた対象の撮り方も素晴らしい。美しい女優たちの演技も素直で好感の持てるものだった。けれど、それらを特に引き立てているのがこの撮影方法にあると思う。

 微妙にカメラを動かす手法は別に珍しいものではないが、多分、ほぼ全編にわたってこの手法を使っている作品は、そう無いのではないかと思う。その移動は本当にゆっくりで動く量もごくわずかなもので、そして、そのショットの主体に対して最初に合わせた焦点を最後まで外さない。だから、このカメラの動きに気づかない人もいるかもしれない。それほど微妙なものだ。これは従来の移動撮影と同様の効果を確かに得てはいるが、監督が意図したのは本質的に違う効果の側面を期待したのではないかと私は考えている。今回は是枝監督がなぜこのような特殊な撮影方法をとっているのか、私なりに考えてみようと思うのだ。