映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

マッドマックス 怒りのデスロード (3/3)

昔々、あるところに・・・

 2つめの系譜マッドマックス2では物語はアクションに対して従の関係にあると言いました。何でもありのアクションを活かすために作られた核戦争後の荒廃した世界という設定。しかしそれが後の多くの表現に大きな影響を与えることとなったのですが、これも全く下地のないところから生まれたわけではありません。

 昔話の始まりの慣用句、みなさんも知っていますよね。「昔々、あるところに・・・」というあれです。この昔話のパターンをアクション映画風に焼き直すと

 「昔々(または、何時かもわからない)ある街に、どこの誰ともわからない男がやって来ました。男はその街にはびこる悪人たちの企みやいざこざに巻き込まれますが、知恵と力を駆使して悪人たちを退治します。街には平和と喜びが戻ってきますが、男は何も言わずに何処へともなく去っていきましたとさ。」

 さあ、どこかで聞いたような話ですね。このパターンで、後半の「男は何も言わずに・・・」以降を除くと神話の時代から世界中にある英雄譚となります。これは人類にとって普遍的な物語と言えるのでしょう。日本では股旅物という形で映画でも広く親しまれました。ただ、神話にみるようにこのような英雄譚はエピソードが多く長いのが特徴。これを小説やさらに映画的にコンパクトにまとめると「何も言わずに・・・」というスタイルが生まれてきたのではないかと思うのです。この方が映画においてはハードボイルドさや、英雄の哀愁のようなものが際立つのです。それを映画における1つのスタイル(文体や定型という意味での)として確立したのは日本の黒澤明監督だと私は思うのです。

 

定型の確立

 このスタイルに近い形の映画は黒澤明監督が最初ではないでしょう。洋画、邦画ともに数ある中でも西部劇の傑作で1953年製作、ジョージ・スティーヴンス監督、アラン・ラッド主演の「シェーン」はこのスタイルの代表作ですね。この作品はガンマンと殺し屋の決闘がクライマックスで、ガンマンであることの恐怖や殺し屋の非情、決闘の緊迫感を現在の作品のような血や肉の飛び散る映像を全く使わずによく表現していて素晴らしいものです。ですが、それだけではなく、少年との友情や許されない恋心、街の人々との心の交流や彼らの人情など、内容が盛り沢山です。そのどれもがそつなくしっかりと描かれているのがこの作品の傑作たる所以なのですが、本来、血なまぐさい話のはずなのに、人の心の善の側面を美しく強調し、その上あまりにも複雑で優等生的なのです。そのせいで作品としては傑作であっても、そのスタイルを映画史に残るものとして確立することは出来ませんでした。

 ここで登場するのが黒澤明監督です。まず黒澤監督はこのスタイルで傑作七人の侍(1954年公開)を撮っています。先の「シェーン」と同時期の製作なのは興味をそそられるところです。この作品は「シェーン」と同様に先に挙げた英雄譚的設定である上に、村人との心の交流あり、幼い恋心ありと内容もよく似ています。ところが鑑賞者に与えたインパクトはこちらの方が遥かに強烈でした。なぜなら、綺麗事ではない、人間の生の感情と生死のぶつかり合いがあったからです。後にハリウッドでもリメイク版として「荒野の七人」が製作されています。さらに黒澤監督はこのスタイルを用いて、あの「用心棒」(1961年公開、三船敏郎主演)を撮りました。黒澤監督はこの作品をダシール・ハメットの探偵小説「血の収穫」を元にしていると言っていますが、原作小説の男臭い味わいやリアリズムをより際立たせるために、主人公の素性までをも贅肉としてそぎ落としました。そのためにこの映画の主人公はやって来る理由も去って行く理由も解りません。それがかえってこの男のキャラクターを魅力的にしているのです。そして、続編の椿三十郎とともに大評判となりました。黒澤監督はハメットから得たこの物語のエッセンスをつかみ取り、最も効果的に表現するために「七人の侍」で成功したこのスタイルを選択したのでしょう。しかし同時にこのスタイルの最も効果的な使い方を発見したと言い換えても良いでしょう。みなさんもご存知のように「用心棒」はマカロニウエスタンの名作「荒野の用心棒」セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演)として無許可でリメイクされました。裁判沙汰にはなりましたが、続く「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」の世界的ヒットで黒澤監督が完成形として創り上げたこのスタイルは娯楽アクション映画の定番スタイルとなったのです。こうしてみると黒澤監督がなぜ世界の映画関係者から尊敬されているかが解ります。黒澤監督は数々の名作を世に出しただけでなく、新たな定番の映画スタイルを完成して見せたのです。

 さて、ここまで来るとジョージ・ミラー監督は自身が創り上げた世界観にこのスタイルをうまく当てはめているのがよく解りますね。こうしてここでもまた1つ、新たな映画スタイルが誕生したと言っても間違いではないでしょう。ただし、普遍的なスタイルではなく、ジョージ・ミラー節とも言うべき個性的なスタイルです。