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映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

ガールズステップ

隠れた宝物 

 青春モノの定番といえば、昔はスポーツが軸となることが多かったが、今やダンス。年配者にとっては多少違和感があるものの、見れば納得。同じことだ。またメニューも同じ、友情と恋。昔とちょっと違うのはスクールカースト。それ何?この感覚だけはついていけない。 

 目標を共有することで仲間、友情というものを知り、恋に目覚める。この辺は昔と変わらない。水戸黄門の基本的には毎回同じ話というのと同様、昔からあった青春モノと同じく涙と友情でハッピーエンド。解っていても結構ウルウル来てしまうから、定食としては良い出来だろう。だけど、それだけ。一時キラキラの青春に幸せな気持ちになって、それで終わりなのだ。なぜなら、観ている方は「こんなことはあり得ない」と解っているからだ。彼女たちが偶然素晴らしい指導者に巡りあうことも、あんなに劇的に友情を結ぶことも、軽々とカーストの壁を乗り越えることも、あの程度のダンスで賞をもらえることも全て現実ではあり得ない夢物語と解っているからだ。しかし、それだけでしかないから悪いことだ、とは言わない。むしろ、そんなあり得ない夢を見せてくれるのが映画の得意技なのだ。 その一時の幸せな気持ちが、明日を生きる少しの後押しになるならそれは価値あることだと思うのだ。

 前回、現実にはあり得ないモノやコトを現実のように見せてくれるのが映画だと言った。それはSFやファンタジーでなくとも同様なのだ。同様に現実にあるけれど自分では体験したくない、または出来無いことも映画では疑似体験させてくれる。オリンピックで金メダルを獲ってみたいと思っても普通はできることではない。なにせ各大会のそれぞれの種目で金メダルを取れるのは世界でたった一人だけだからだ。「死ぬとはどういうことだろう?」とは誰しも思うことだが、普通は実際に死んでみようとは思わない。太宰治の人生に興味はあっても同様の人生とその結末を実際に体験したいとは思わないのだ。しかし、映画はそのような世界を垣間見せてくれる。

 映画は最も感覚的で感性的な表現形式だろう。劇場に入れば暗闇が鑑賞者を現実から隔離し、視覚と聴覚いっぱいに広がる映像と音響は鑑賞者の認識を専有する。鑑賞者は作品世界に支配されることによって、その世界を疑似体験するのだ。理解ではなく体験だから、あらゆる人にわかりやすい。難しい理屈を伝えるのは苦手だが、感動を体験として伝えることができる。その感動とは作品世界を創りだした作者たちの認識を追体験したものだから、取りも直さず人間に感動したということだ。だから若いうちに感動できる映画(人生)にたくさん出会って欲しい。もし、その映画を見終わったあと、それがその人のそれからの人生にいくらかの糧となるのなら、その作品はその人にとっての宝物となるのだろう。若いうちなら生涯の宝物となるかもしれない。そんな作品であれば、いくつになっても巡り会いたいし、そのような作品を生み出す創り手の皆さんを私は尊敬しているのだ。

 この作品は物語に登場する彼女たちと同世代の鑑賞者には今年の隠れた宝物になるに違いない。 

<参考文献> 三浦つとむ著「芸術とはどういうものか」