映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

ナイトクローラー

現代アメリカ社会映す異常な男 

 評判の作品だったのに観る機会を逃し、ようやくの鑑賞。だから、Yahoo!のユーザーレビューなども何度か読んでいた。そこではこの作品は「サイコパスの話」という見方が多い。公式サイトでは作品紹介のタイトルが 

 

「視聴率至上主義のテレビ業界を舞台に 

アカデミー賞ノミネートの常軌を逸した 

大胆かつ緻密な脚本が、<日常の隣で笑う狂気に迫る>ー」 

 

と、なっている。この作品はこのルイスという男の狂気がテーマなのだろうか? 

 テレビ業界の裏側を描いた話は他にもある。裏では限りなく黒に近いグレーなことが行われていそうなことは、私達素人にもヤラセなどの報道で想像はつく。ただし、実際の有様についてはこの作品がみせてくれるまで具体的には解らないから、それはそれで意味のあることだし、面白みもある。しかし、現実の報道の現場にいる人々がみんなヤラセに走ったり”サイコパス”であるはずはない。土台、サイコパスというものがどういうものか、私にはハッキリとはわからないし、鑑賞者の殆どは私と同じだろう。だから、この作品は一人の特殊な人間の物語なのかというと、それでは作品の狙いが萎縮してしまうし、なぜ報道の現場という舞台を選んだかという意図がアヤフヤになってしまう。作者の狙いは少し違うところにあるのではないかと思うのだ。 

 この物語は一人の異常で特殊な男の成功の物語だ。そういう物語であること自体が特殊であり、異常であるのだが、これが物語として成り立つ社会そのものが異常なのではないかという問いこそが、作者の狙いだろう。作者はこの男を現代アメリカ社会の映し鏡として描いているのだ。 

 冒頭のシーンで主人公は盗みを働いている。それを咎めた警備員はどうなったのだろうか。想像をすると恐ろしいのだが映画はそれを些細なことと言いたげにその後一切触れようとしない。恐ろしさを掻き立てる思い切った構成だ。彼は盗品を売りさばくために持ち込んだ会社に事もあろうにその場で自分自身を売り込む。自分を雇えばどれほどよく働くか弁舌巧みに売り込むのだ。もちろん「盗人は雇わない」の一言でその話はなくなるのだが、ここまでの流れで鑑賞者はこの男がどんな人間なのかを思い知る。異常なほどの自己中心的人間なのだ。 

 この後、この男はその性格を存分に発揮して成り上がっていくのだが、彼を使う女性ディレクターも彼の助手も正常な人間でありながら、彼の側に引きずり込まれてゆく。そこにはもちろん視聴率至上主義という業界体質があるだろうし、個人それぞれを取り巻く状況もあるだろう。しかし、視聴率至上主義が本当に悪いのだろうか?それぞれを取り巻く状況を産んだのは何なのだろうか?この報道番組の視聴率というものが求めるものと現在の個人の状況の両方を創りだした原因とはアメリカ社会の行き過ぎた個人主義ではないのか?この異常な男は現代アメリカ社会の映し鏡であり、異常なのはこの男を必要とする社会のほうなのではないだろうか?

 物語の結末はその問に帰結するだろう。