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映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

ズートピア

作品評

意外と”深い”のには理由がある 

 今回は映画「ズートピア」とともに書籍、三浦つとむ著「芸術とはどういうものか」の紹介。 

 「ズートピア」の評判は総じて好意的です。抜群ではないものの、内容が意外と大人も楽しめるものだというのです。TVでのCMも「意外と深い」と締めくくっています。評論家の先生方さえ同様の意見ですね。 

 しかし、これは意外でもなんでもないんですね。1928年の「蒸気船ウィリー」の時代からのディズニーのお家芸と言っても良いものなのです。かえって、「ファインディング・ニモ」のほうがディズニーの動物キャラクターを使ったアニメーションとしては傍流と言っていいくらいです。さらに言えば、キャラクターが動物ではなく自動車であり、制作はピクサーで、配給だけがディズニーの「カーズ」はそれでも本流にちかいのです。何故でしょう?その秘密はすでに1965年に出版の三浦つとむ著「芸術とはどういうものか」にしっかりと解き明かされています。 

 三浦さんは独学で弁証法をもとに芸術論・言語論・組織論などの未確立の分野の研究を進めたかたで、この「芸術とはどういうものか」も平易な文章ながら、他の追随を許さない論理性の高さで表現について学ぶ際には絶対に避けては通れない参考書の一冊となっているのは常識のはずなのです。ところが、そこについて言及されることがないのは専門家として恥ずべきことでしょう。そこで今回は私が代表して三浦さんの謎解きをご紹介しておきます。 

 まずは本書の引用から 

 

 芸術とはどういうものか(至誠堂選書13) 

 Ⅲ 新大陸の新しい芸術 

   ディズニー映画とその主人公 

   P.180から 

 童話では、動物たちが人間のことばを話している。そのさし絵では、動物たちが人間の服装で人間的な生活をいとなんでいる。これは童話を映画化したアニメーション映画の登場者たちにも見られることで、たとえば「狼なんぞこわくない」の主題歌がヒットした『子豚物語』での狼や三匹の子豚にしても、『兎と亀』での兎のマックや亀のトビイにしても、みな同じである。これらは動物の擬人化である。ところが、ミッキィやドナルドやグーフィやホレスやクラベルなどは、見たところ童話の世界の動物たちと同じでも、そこには鼠と家鴨と犬と馬と牛という動物関係が存在しない。狼が三匹の子豚をつかまえて食べようとつねにねらっているのとは、まったく異なった関係である。ミッキィ一族は動物に見えても実は動物ではなく、人間に動物的な外貌を与えたもの、人間の擬動物化である。ミッキィのつれているプルートが従者ではなく愛犬であるのに対して、グーフィはミッキィの仲間であり犬の外貌を持った人間である。 

 

 目からウロコと言うのはこのことです。私も始めてこの文に出会った時には開いた口が本当にしばらくふさがりませんでした。ディズニーの動物アニメーションが他と違い、深い機微に富んでいるのはアタリマエのことだったのです。なぜなら動物の姿を借りて解りやすく抽象化しているだけで描いているのは人間の社会そのものだったのですから。 

 本書は構成も絶妙で上記の項はアメリカにおける行動喜劇(スラップスティック・コメディ)の成立についての考察の次に来ています。実に解りやすい。映画ばかりではなく、表現一般について知りたいと思う方にはぜひとも一読をお勧めします。 

 で、映画「ズートピア」ですが、このディズニーアニメーションの伝統をしっかりと受け継いでいるばかりでなく、さらに発展もしています。上記の引用の中で他のアニメーションとの比較ではミッキィとその仲間たちには動物関係がないと書いてあります。ところが、「ズートピア」では動物関係が物語の中に取り込まれています。登場人物たちがまとった動物のキャラクターの種や系統の関係性を人間社会の人種や格差の関係の抽象化として取り込んでしまっているのです。見事と言っていいでしょう。だから、観ごたえがありのです。これらのことを踏まえたうえでディズニーアニメを見てみると、また違った世界が見えてくるでしょう。