映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

シン・ゴジラ

シンジへの解答 

 ゴジラシリーズでは第一作に継いでの傑作となった本作は監督のゴジラへのこだわりが強く感じられる作品だ。ゴジラの姿といい、圧倒的な恐怖といい、その物語のモチーフまで第一作を基本にして現代的にアレンジしたものだ。だが単なるアレンジではなく、今の時代を象徴する問題をしっかりと盛り込んでもいる。第一作ゴジラはその誕生した時代の日本人の思いを具現化することが一番の目的だったであろうから、本作は正統なリメイクとも呼べるものでもあるだろう。 

 その意味からいえばゴジラとは作品の主張を浮き立たせる媒介物であるともいえる。それは圧倒的な破壊と恐怖の象徴だ。第一作が生まれた当時の日本人にとって、その象徴の先にあるものは明確であったが、現代の殆どの日本人も同様の恐れがまた身近に迫っている予感を多かれ少なかれ持っているののではないかと思う。まさしく、ゴジラのように。 

 その時、日本人はどのように対応するのだろうか?その問いかけこそがこの作品のテーマだ。世界は日本の戦後の奇跡的な復興や多くの大地震のあとの被災者の落ち着いた強さに驚くが、その国民性は一体どこから来るのだろうか。ハリウッド映画に見られるヒーローという個人の活躍ではなく、宗教に根ざした自己犠牲と言うのとは少し違う感覚が日本人にはある。それは多分、圧倒的な苦境にあって自身をも客観視できる能力ではないかと思う。別な言い方をすれば、日本人は人間が個人としてしか生きられないのに、社会関係がなければ生きていくことが出来ないという矛盾した存在であることを経験的によくわかっているということだ。だから、どんなときも、自らが属する社会に最良の結果を得るために、各々が今、出来ることに最善を尽くす。それで自身がどうなるかということは二の次なのだ。そういう考え方が染み付いているということではないだろうか。この作品はそんな日本人のあり方をよく表している。 

 この矛盾は本能の海と森から認識の世界に歩み出た人類の宿命だ。そしてこれはあのTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が図らずも問いかけた矛盾でもある。 

 「シン・ゴジラ」はあのとき自己の存在理由に悩む中学2年生の個人的内省だけでは答えきれなかった問への庵野秀明監督の解答の一つでもあると思うのだ。