近況 「来年はやったるぞー!」
ゴジラ以降、ずっと休止状態。
現実の生活でもまるで冬ごもり。
しかし、こもってただ寝ていたのではなく、非常に充実しています。
理由があります。
実は面白い本に出会ったのですね。
「出会った」と言うのは正確ではありせん。
この本、2004年ころ、すでに手に入れていました。
しかし、一読して
「何言ってるのか、サッパリ解からん!」
というわけで、放ったらかしになっていました。
だから、個人的な再発見という方が正しい。
常々、映画についての体系的な理論書を探していました。
映画製作や撮影の技術解説書ではなく、作品論や作家論でもない、映画の本質についてのものです。
しかし、これが無いのです。
ある日、それこそ今年の夏あたり、またもやアマゾンの書籍リストをながめていて、
何気なく、カスタマーレビューを開いたんですね。
一度、買ってしまった本のレビューなど普通は見返さないんですが、
それも、2件しか無いものなんて。
でも、その2件が両方共、☆5つなんですね。
「ほ〜? そうだったっけ? 何で?」
曰く、
「キングオブ入門書」
「本格的映画理論の入門書」
しかし、自分の印象では入門書と言うには程遠い、訳の分からない本という印象。
で、本棚でホコリをかぶっていいたやつを引っ張りだして読み返し始めたのですね。
その本とは
J・オーモン,A・ベルガラ,M・マリー,M・ヴェルネ 著
武田潔 訳
「映画理論講義」(勁草書房)
さて、結論から言えば、映画草創期からの映画理論を網羅的に捉え、著者の観点からの分野分類による体系化を通して提示された、非常に価値の高い労作と言えるでしょう。
けれど、もし、まともな映画の理論書、入門書がこの本しか無いのだとしたら。
まず、映画とは何かという本質論がない。
ここは、この本の序論にその理由が書いてあって、映画という概念が覆う分野は一つの分野、側面からだけ捉えて、その本質とする事はできないほど、幅広いというのです。
が、そこをしっかりと解いてこそ、本質論といえるのであって、その本質論が無いがために、この本は用語の概念規定も曖昧で、人間の認識(観念)とそれを元にして創造された作品(実体)との区別までもが曖昧な、混沌とした内容となっているのです。
これでは、入門書と言うには程遠いものです。
そして、この本の混沌こそ、映画理論の歴史的迷走を端的に表したものでしょう。
もしかしたら、この迷走は映画論に限らず、芸術一般論、または更に大きく表現論にまで及ぶ現状を表しているのかもしれません。
と、カッコイイことを並べ立てるのは正直、後付の話で、最初は
「こりゃ~、ツッコミどころ満載じゃねーの?」
と、思ったわけです。
「映画のそもそもを考える」と言ったからには看過できませんよね。
で、このブログもホッタラカシの研究生活。
今はまだ、本の内容の論理的検証の段階ですが、来年夏までにはそれを終わらせ、
できれば、それを元に私なりの理論展開を始めたいと思っています。
つまり、本書に敬意を込めての
「映画理論講義批判 映画とは何か」(仮)
ということになります。
ま、来年の目標ですね。
そればっかりではこのブログの存在価値がなくなります。
たまには何か書いとかなくてはということで、
次の記事では今年の締めくくりをしたいと思います。