映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

ゴースト・イン・ザ・シェル

古い 

 映像としてはもう古いのではないだろうか。原作を大切にしていることは解るが、アジアと日本の描き方がステロタイプ的な古いもので、欧米のファンには安心感はあるものの新しさやインパクトに欠け、アジアのファンにとってはかえって腹立たしく思えるものではないだろうか。

 東アジアの文化は中国、台湾、朝鮮半島、日本、東南アジア、インド等、欧米人から観た見た目は似ていても、中味はそれぞれ大きく違う。そうであるからこそのカオスとしての魅力を放ったのは前世紀の話であり、これらの国々が経済的な発展により、それぞれの文化の主体性を自覚し始めている、そのようなときにこの作品のような映像はありえない。それに、この作品の主役がスカーレット・ヨハンソンに決まったときに、ハリウッドではアジア系の役に白人を使うことについての抗議の声が出たようだが、原作の生まれた当の日本ではそんなことにこだわりを持つものはいなかっただろう。それは日本人の人種や文化に対する考え方の未熟というより、本作の設定の肝と言える機械の体とゴーストの関係性を知っていれば見た目の人種がどう見えようがあまり関係はないからで、原作に対する理解の普遍性においても日本と海外ではそのレベルに大きく違いがあるのだろう。ゴーストをこのようにわざと解りやすくし、古くからのストーリーに落とし入れてしまったのも、西欧的な解釈だ。この映画は現在の日本のファンにとってはハッキリ言って駄作である。