映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

勝手にふるえてろ

新しい社会認識の写し鏡 

 この作品はコメディと紹介されていますが、そうではないでしょう。この作品は恐ろしい社会現象の写し鏡のようです。鑑賞後、悪い作品ではないし、それどころか非常に興味深い作品であると思いました。しかし、この作品を鑑賞した直後の私の心はなんというか、「気持ち悪さ」のようなもので一杯でした。主演の松岡茉優さんが実に魅力的に演じているにも関わらず。けれど、この物語が東京国際映画祭で観客賞を取るほど共感されるなら、主人公のような妄想的人間は男女を問わず普遍的なものになっているのでしょうか。 

 恋愛経験ゼロのOLが妄想の恋と現実の恋との間で暴走するコメディとの解説ですが、妄想が中学生の頃からの片思いの相手だけにとどまらないのは、唐突な会話の展開から鑑賞者にもすぐに見えてきます。その会話の中身も独断的な屁理屈を彼女が一方的に語るばかりで相手の疑問や反論は無いだからなおさらです。ここから妄想の中に逃避する痛い娘が現実に目覚めるコメディかと思いきや、彼女の暴走は単なる恋の暴走だけでは収まらず、だんだん現実世界とのコミュニケーションにおいてはほとんどあり得ない物となっていきます。展開があまりにも恣意的で、まるで登場人物の妄想を描きながら、作者が物語の中で妄想しているかのようなのです。 

「どうして、そうなる?」 

と、思わず突っ込みたくなるような解釈の台詞が続きますが、極めつけはラストシーンの現実の彼との会話です。彼女のあり得ない嘘の告白に彼は 

「そんな、剥き出しの心で相手にしなだれかかるのは・・・」 

と、切り返すのです。 

 現実にはあり得ないほどの、物語の中の本人の興奮度とは裏腹の冷静で素早く、核心的な言葉の選択なのです。 

 今の若者はこんなに頭がいいのだろうか?上記のセリフを聞いたとき私の頭の中は「?????」で一杯でした。 

「論理として、あってる?」 

と思いながら、物語の展開を追っていくうちに理解不能の気持ち悪さが膨れ上がってくるのでした。恋人同士であんなディベートまがいの会話が成り立つのでしょうか?そこに鑑賞者の共感があるのかと思うとさらに気持ちが悪くなるのでした。 

 映画館を出てから、冷静に考えてみると原作者自身がコミュニケーションベタでその経験から得た結論をぶつけているにすぎないようにも思えてくるのです。 

 作品は作者の写し鏡であり、作者はその作者を作り出した環境の写し鏡です。そしてその作品に多くの共感が得られるのなら、それは社会の写し鏡だといえるでしょう。だが、この鏡に映る光景は私が見てきた光景とは大きく異るのです。 

 以前にも書いたことがあると思いますが、「まず、心をひらきなさい」と無責任なことをアドバイスする人がいます。しかし、聞く側にとっては、その前に「心をひらく」とはどういうことかが解らなければ大きな間違いを犯してしまうのではないでしょうか。本当は「心をひらく」とは先入観なしに相手を受け入れることでしょう。しかし、このようなアドバイスが必要な人はコミュニケーションがヘタで孤独な場合が多いはずです。だから、「自分を認めてほしい!」という欲求を強く持っているものです。まさしく、この物語の彼女のようです。そんな人が「心を開く」と聞くと、往々にして、自らの心の剥き出しのありさまを相手にぶつけてしまうことになるものです。結果、周囲はドン引き、本人は更に孤独になり、 

「なぜ?どうして?」 

という疑念と失望だけが残るということにもなりかねません。 この物語はそんな状態を極端に描いたものといえるでしょう。

 「心を開くとはどういうことはか?」ということに解答が得られるのはコミュニケーションベタの人間にとってはそこをある程度克服しなければ得られないものです。だから、相当な努力と時間が必要となってきます。けれど、コミュニケーションに苦手意識のない者にとっては自然、当然のことで、なぜそうなるのかがなかなか理解できません。ということは、この作品のラストシーンのように会話の流れからポッと出て来る答えではないなずだと思うのですが、もし今の若者が皆、このような理解の過程に共感が持てるなら、認識の構造が私とは大きく異なっているに違いありません。それとも、やはりそのような例題と解答とを連ねたマニュアルなどが存在するのでしょうか?いずれにせよ、なんだか気持ち悪さと共に恐ろしいものでした。 

 だが、ここまで来て、ふと気がついたのです。もしかしたら、私にこんな風に考えさせることこそがこの作品(原作も含めて)の本当の狙いなのかもしれないと。 

 まさか、それは考えすぎだと思いたいのですが、この作品を観てからずっと疑念が晴れません。ここで共感される物語の背景に、すでに私には理解のできない新しい世界が広がっていて、だから、私のような取り残された鑑賞者は最初に言われていたのかもしれいのです。 

勝手にふるえてろ!」