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映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

セッション

 私がオススメするまでもなく、どうやら評判が良いらしく、TVのCMまで始まりました。専門家からの評価はよくても一般受けはするはずはないと配給元では思っていたでしょう。前宣伝は映画館でのニュースのみ、私が住む千葉県での上映は東京近郊の2館のみと完全に読み違いです。やはり、力のある作品は口コミでも広がるものです。傑作といっても良いでしょう。

 この作品の原題「WHIPLASH」はムチで打つとか、ムチの先のムチひもという意味らしいのですが、それが転じてむち打ち症という意味もあり、むち打ち症はドラマーの職業病でもあるらしいのです。さらに劇中にも登場するジャズの練習曲の題名でもあり、実に意味深な題名なのです。こんなことなら、原題そのままのほうが良かったのではないかとも思えます。

 鑑賞後に購入したパンフレットを読むと、この物語はデイミアン・チャゼル監督の実体験に基づくもののようです。彼は高校時代、ジャズオーケストラのドラマーだったそうで、そのオーケストラの指揮者が並外れた才能を持つ地元の英雄で、その公立校の未熟なジャズバンドを有名な「ダウン・ビート」誌に「全米一のジャズバンド」と言わせるまでに変貌させたのだというのです。しかし、その時監督は彼によって生まれて初めて、音楽が心の中の楽しみでも自己表現でもなく、恐怖と結びついたのだといいます。彼のドラマーとしての経歴はそこで終わってしまいましたが、彼はその時の教師との関係をこの作品で掘り下げてみたいと考えたといいます。パンフレットには彼がそこでたどり着いた結論には言及していません。

 私にはジャズやドラムに詳しい先輩がいて、その先輩曰く、ビックバンドにおける「ドラム」の位置づけは、他の楽器とは異なり、バンド全体、作品全体を大きく左右する存在なのだそうです。だから、この作品に登場する鬼教師、フレッチャーもドラムに対してはことさら厳しいのかもしれません。また、この作品は生徒であるニーマンの視点から描かれているので、鑑賞者にもフレッチャーが鬼か悪魔のように見えてしまうのですが、反対にフレッチャーから見ると彼のようなプロ中のプロにとってはどうにも我慢ができないテンポのズレがニーマンには理解できないということも忘れてはなりません。

 また、前出の先輩の言葉を借りると、

 「バディリッチは世界最高のドラマーで、彼がハリージェームスビックバンドの花形ドラマーとして有名になりのしあかがっていったころ、いつしかその指揮者たるハリーを越えてバディリッチがこのビッグバンドを引っ張っているようになる、という歴史の一こまは、この映画のラストとも重なるようにも見える。バディリッチはドラマーとしてビックバンドを支配し、実際のバンドを結成して世界を回ったが、まさにその歴史を繰り返そうとしている若者の誕生、そのバディの認識に一歩近づいたところがあのラストシーンだ。バディリッチレベルの「技量」のプレーヤーはその後何人かは輩出したが、このバンドを支配する認識の誕生にフレッチャーは師匠としての役割を全うしたのかもしれない。」

のだそうです。

 しかし、監督はここに疑問を感じたのかもしれません。そのような超一流のプロを奇跡的に育て上げるために、数多くの才能を潰していくような指導方法に「それしかないのだろうか?他に方法はないのだろうか?」という疑問を投げかけるために、単に厳しい指導に打ち勝ったサクセスストーリーではなく、サスペンスかホラーまがいの作品に仕上げたのかもしれません。少なくとも私の経験にはない新しい映画体験です。

 ここで、この作品はニーマンの視点で描かれている、と言いましたが、前回紹介した「バードマン」と同様、一貫した主観的視点で描かれ、そのことによって物語の緊張感を際だたせることに成功しています。しかし、「バードマン」のような新しい特殊な手法を使っているわけではありません。使い込まれて洗練された既存の手法を最高に使いこなしているといえます。2つの作品は主観的視点を違う手法で表現していますし、その結果得ようとしている目的も違います。だから、どちらの手法が良いとはいえませんが、2つの作品の比較においては、この「セッション」のほうがはるかに上質に面白く出来上がっています。けれども、アカデミーの作品賞は「バードマン」でした。2つの作品を観比べてみるのも面白いですね。