映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

映画とはどういうものか

.映画の姿

 

映画の変化

 今、映画のありかたが、大きく変化しています。近年現れた、インターネットによる動画配信サービスが大人気です。2020年からの新型コロナウィルスによる世界的パンデミックにより、人々は劇場へ足を運ぶことが出来なくなり、映画界全体の収益が大幅に減少する中、家庭やモバイル機器で配信サービスを視聴する人々が増え、配信会社独自製作の作品が、数多く創られるようになりました。また、個人の自主製作的な作品もスマホなどの撮影機器の発展と普及、作品を発表するためのYouTubeなどのプラットフォームの充実が膨大な製作費や劇場での上映という壁を取り払い、誰でも自由に映像作品を製作、発表することが出来るようになりました。こうなると映画において当たり前であった条件、映画は大きな映画会社が創るものという考え方や作品の2時間前後という時間的条件と劇場へ足を運ぶという興行形式の条件が曖昧になってきました。配信サービスで、1時間ずつ定期的に連続配信される物語は、今のところドラマと呼ばれています。映画はこのドラマにとってかわられてしまうのでしょうか?また、このドラマと呼ばれているものは映画とは違うのでしょうか?それとも、映画の新しい形なのでしょうか?逆に、YouTube上で流れる数分程度の作品は一般に動画と呼ばれていますが、場合によっては短編映画として紹介されるものもあります。動画と短編映画の違いとは何でしょうか?

 旧来の映画ファンとしては映画館で見る映画のあの特別なワクワク感が失われてしまうのは何とも寂しい限りです。ただ、新しい世代の鑑賞者、視聴者は映画館での鑑賞にそれほど特別な感情を持たないのかもしれません。それはなぜなのでしょうか?映画館はこれから衰退の道をたどることになるのでしょうか?それは映画の消滅の過程なのか、それとも形を変えての発展の過程なのでしょうか。

 これらの疑問に答えるには、そもそも“映画とは何か”ということを明確にしなければなりません。それには映画はどのようにして生まれ、どのように成立し、発展してきたのか、映画の歴史に問わなければならないでしょう。

 

映画とは何か

 映画とは何かと問うなら、”娯楽である“ということでしょう。エジソンリュミエール兄弟等による事の始まりをみても、彼らの意図に反して、社会は彼らの発明を娯楽として受け取ったのでした。この意図のズレについてはのちに詳しく述べるとして、この事実からも映画はその原基形態の発生当初から娯楽であったと解るはずです。しかし、映画は娯楽だというだけでは他の娯楽と何が違うのかわかりません。そして最初の疑問、現在の多様化した映画のありかたの中で映画とそれ以外を区別することはできません。また、映画はその誕生後、幾多の偏見を乗り越えて、新しい時代の芸術として認められたのではないか?単なる娯楽としてしまってよいのか?という疑問も出るでしょう。

 それらの疑問に答えるには、もう少し詳しく“映画とはどういうものか”ということに踏み込んで考えてみることが必要となってくるでしょう。

 どのように踏み込むか?それは映画の誕生から映画がどのように発展し変化してきたかを知る事です。映画はどのようにして映画となったのか?映画はどうして芸術として認められたのか?それを知ることで映画と他の娯楽との違いが明確となり、娯楽と芸術との違いも明らかになるでしょう。

 

 結節点を探せ

 物事の発展はすべて順調になだらかに進むものではありません。皆さんも若いころからの学びやクラブ活動、習い事などを通してそれを実感しているはずです。それまで経験のない新しいことを学ぼう、身に付けようとするとき、基本的な技や知識でも自在に使いこなすためには繰り返しの練習が必要となってきます。マネをすることから始めて練習を重ねていきますが、なかなか身についているようには思えません。しかし、繰り返し練習することで、あるとき突然一つレベルアップしている自分に気づくはずです。この様に一つの技や知識を使うのに必要な要素、筋力やスピード、柔軟性、技の正確な形、知識への多角的な理解など、その技や知識を使うために必要な最低限の条件が揃ったときにはじめて、自分で「できる!」とわかるものです。この様に上達は練習の積み重ねがその者のレベルアップの要素をそろえたときに始めて行われ、レベルが高くなればなるほど積み重ねの期間は長くなり、時にはスランプといった逆に下手になる時期さえもあるのです。

 これは個人の上達に限らず、社会の発展にも言えることです。新たな技術が生まれるためにその構成する様々な要素としての技術の発展が必要です。それらが全て揃ったとき、堰を切ったようにいたるところで同様の技術が生まれ始めるのです。映画の原基形態としての誕生はまさしくこのような状態でした。この様な時点を結節点と呼ぶことにしましょう。

 映画の歴史を考えるとき、その誕生から現在までの全ての作品を把握しておくことは不可能です。しかし、大きく俯瞰して眺めながら、ある時点、またはある一連の作品群の前後で明らかに映画に何らかの発展があった、という点、結節点を見つけ、その前後での違いを見て取ることで、映画がどのような発展を遂げたのかを知ることが出来るはずです。そのような結節点の理解を積み上げてゆくことで映画の現在の姿がおのずと見えてくるのではないでしょうか。

 映画は生まれて130年ほどの歴史しかありません。ですから、映画の歴史とその真実の姿を明らかにする、そのようなことはすでになされていると思っていました。ところが、私が少し調べてみた限り、現在それについて書かれているものは無いようなのです。映画の製作についての理論書は数多くあります。また、ジョルジュ・サドゥールの素晴らしい労作であり大著、「世界映画全史」のように事象や作品を時系列に並べ、それらの考察を加えていくという歴史書はいくつか存在します。しかし、歴史から論理として、映画の誕生と発展過程を示したものは見当たらないのです。見当たらなければ、自分でやってみても良いのではないか?身の程知らずにもそのように考えたのです。私はこれを生業としているわけではありません。だから、誰にも忖度する必要もなければ、時間に追われるわけでもありません。あくまでも、私個人の考えとはなりますが、少しずつでも確実に考えていくことが出来るはずです。

 それでは、映画の姿を求める約130年の旅へ出発することにしましょう。