映画そもそも日記

映画のそもそも〜ってなんだろう?をベースにした日記

人生はシネマティック(原題:Their Finest)

 女性を通して描かれた自立の物語 (少々ネタバレ)

 素晴らしい、よく錬られた作品です。けれど、邦題に惑わされる方が多いのかもしれません。ここは原題に注目です。 

 この作品をコメディであるとか、映画好きのための作品という人がいますが、私は少し違うと思います。コメディ的な要素も、映画好きに向けたというような要素もたしかにありますが、それは作者が第一に表現したかったものではないはずで、基本はしっかりとした人間ドラマです。では、この作品が表現しているものはというと、それは 

 人生の一時を捧げるに値する対象とそれを共有できる者を見つけ、成長し、自立してゆく女性の物語です。 

 そこに要素としてコメディ的な味付けや映画や脚本の制作、そして戦争という背景が加わったということでしょう。第二次大戦中のイギリスが舞台のこの作品、主人公の女性は計らずも戦意高揚のためのプロパガンダ映画の脚本を手がけることとなりますが、軍から要求された映画の条件は 

「信憑性と娯楽性」でした。 

 ところが、取材してみると、素材とされた事実は映画になるほど劇的ではなく、彼女はそれを生活のために粉飾してしまいます。しかし、脚本グループの責任者は隠し事には怒っても、粉飾自体は許します。なぜでしょうか? 

 それは本作の中のセリフとして語られています。 

「映画(物語)は恣意的に構成されているからこそ面白い。」 

のです。 

 この他にもこの作品にはさすが脚本家を描いた作品と言える名セリフがいくつも登場します。上記のセリフがなぜ成り立つのかも語られています。つまり、 

「事実よりも真実」 

を観客に提供することが映画には重要なのです。 

 彼女は次第にこの脚本家に惹かれて行きますが、彼の夢は 

「人生の1時間を捧げても良い作品」 

を創ることです。 

 紆余曲折のあと、完成した作品は単なる戦意高揚映画を超えて素晴らしいものでした。 劇中の作品を鑑賞した婦人は次のように言っています。 

「これは私達のような普通の女性のための映画」 

だと。これはもちろん本作自体が女性の自己確立を描いていることの象徴です。 

 人生の1時間を捧げるに値する作品を創ることを願った彼のように、人間は人生の一時を捧げるに値する対象に出会い、その思いを共有できる仲間を見つけることが最高に幸せなことなのかもしれません。そんな人生を人は「Their Finest」と呼ぶのかもしれません。